ルアーの命はアクションにあり。
ほうきの柄を削ることから始めたジャック・スミスウィック。
ルアーメーカーの誕生は、釣り大好き人間が自分でルアーを作り始め、それが釣れると評判になってメーカーになる、というケースが大半だ。スミスウィックもしかり。
創業者ジャック・K・スミスウィック(Jack K.Smithwick)は、ルイジアナ州シュリーブポートでビジネスマシンのセールスマンをしていた。彼は幼い頃から大の釣り好きで、少年時代から自分でルアーを作っていたという。
彼はまじめに働き真剣に釣りを楽しみ、熱心にルアーを作りつづけていたが、あるときルアーを出入りしていた会社の人たちに売り込み始めた。趣味のような商売の始まりだ。1947年のことだ。
ジャックは当初、妻が使っていたほうきの柄を削ってルアーを作ったという。それもキッチンで細々と作りつづけていたらしい。しかし、このルアーが評判になる。顧客たちの口から口へと伝わり、片手間にやっていられなくなった。妻にはキッチンから追い出され、ガレージに引っ越さなければならなくなり、ルアーの材料となる原木を探さなければならなくなった。
評判が評判を呼び「スミスウィックのルアーで釣ったんだ」と聞いた人たちは「オレにも分けてくれ」「売ってちょうだい」と彼をせき立てる。ジャックはこれはビジネスとして真剣にやらなければならないと悟り木旋盤を購入、ハンドメイドからマスプロダクト(といっても手工業だ)への道を歩み始める。1949年、こうしてマスプロダクトの第1弾としてスウィッシャーのデビルスホースがデビューすることになる。
初期のデビルスホースは、当時の他のルアーと同じように重く、スローシンキングタイプだった。昔のルアーはデカイものが多いが、それはその当時のレベルワインドリールはディレクトドライブで、ルアーの重みでラインを引っぱり出さないことには遠くへ飛ばなかったためだ。そしてリールの進化とともにルアー自体も軽くなってゆき、デビルスフホースもフローティングタイプへと進化する。
このスウィッシャーは今でもウッド製で市販されている。50年以上ほとんど同じ姿でラインナップされているわけだが、進化が止まったというより変えようがないほど当初から完成度が高いといえるだろう。
多くのプロにとってログは、賞金稼ぎになくてはならないルアー。
スミスウィックにはもうひとつ、忘れるわけにはいかないルアーがある。ラトリングログだ。アメリカ人に「ジャークベイトといえば何を思い浮かべるか」と質問すると、必ず返ってくるルアーのひとつである。理由は簡単だ。釣れるからである。
このラトリングログのデビューは1950年代だ。このルアーは当初、ラトルは入っていなかった。70年代後半になって「ラトリング」になる。ラトル入りのルアーはコットン・コーデルのスーパースポットが最初(これにもおもしろい話がある。コーデルストーリーをお楽しみに)だが、ミノーとして最初に追随したのがこのログだ。
ラトル入りの最初のミノータイプとして再デビューしたラトリングログは、プロたちの大のお気に入りになる。ゼル・ローランドをはじめとしてトッププロの多くが「賞金稼ぎになくてはならないルアー」に挙げている。
「魚を探すときにはいつもこれ。これを最初に投げる。トップマネーメーカーだよ」というプロもいる。
ログにはサスペンドタイプもラインナップされている。プロがシークレットでチューニングしていたものが製品化されたものだ。これもトーナメントシーンで爆発的な記録をたたき出しているらしい。
今年、このサスペンドタイプに新製品が登場した。写真下からふたつ目のデッドスティックログがそれだ。リップが小さいこのログは、使い方に注意が必要だという。完璧なジャークベイトとして設計されているために、ただ引きではほとんどアクションせずに泳いでくるだけだ。トゥイッチやジャークによって小気味よくヒラを打たせるのが、設計コンセプトに則った使い方だ。
ログは日本では誰もが知る人気ルアーとはいえないかもしれない。リアルなカラーで見た目も魚そっくりで、重心移動システムで投げやすいミノーではないからだ。そういう日本で「売れる」ルアーの要素がことごとく欠けている。
しかしこれを使ってみると、ルアーの命はアクションなんだとつくづく思い知らされることになる。そしてそのアクションを引き出すのは、アングラーの腕であることに改めて思い当たる。それができたとき、このタイプのルアーがトゥイッチベイト、ジャークベイトと呼ばれる意味がよく分かる。そしてまた、これこそルアーフィッシングの楽しみ方の原点なんだと思い至ることだろう。